河鍋暁斎(1831-1889)は、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師、日本画家です。
号は、それ以前の「狂斎」の「狂」を「暁」に改めたものであることから、「ぎょうさい」とは読まずに、「きょうさい」と読みます。
当時人気の浮世絵師、歌川国芳に入門、その後狩野派に学び、弱冠19歳で修業を終え、さらに様々な画法を習得しました。狩野派の流れを受けていますが、他の流派・画法も貪欲に取り入れ、自らを「画鬼」と称しました。
天保2年(1831年)、下総国古河石町(現茨城県古河市中央町2丁目)に、河鍋記右衛門ときよの次男としてに生まれました。
若き暁斎は国芳の現場主義的な教えを実践すべく、一日中画帖を片手に貧乏長屋を徘徊し、庶民の喧嘩口論の現場などを探して歩いたと言われています。
天保11年(1840年)、狩野派の絵師前村洞和に再入門。
狩野派の修業は、卒業までに11、2年かかるとされており、9年で年季明けした暁斎は際立った才能の持ち主と言えます。
明治14年(1881年)、「枯木寒鴉図」が、「妙技二等賞牌」を受賞。
暁斎はこの作品に百円という破格の値段をつけ、周囲から高すぎると非難されると、「これは長年の画技修行の価である」と答えたといい、これに心意気を感じた榮太樓本舗店主・細田安兵衛は本当に百円で購入して、その後この鴉は「百円鴉」と呼ばれ、暁斎は狩野派の正当な絵師として世間に認知されるきっかけとなりました。
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