オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley、1872 - 1898)は、イギリスのヴィクトリア朝期に活躍した世紀末美術を代表するイラストレーターです。
耽美・唯美主義に根差した頽廃的・悪魔的な雰囲気を持つ白黒のペン画により鬼才とうたわれましたが、結核のため25歳の若さで夭折しました。
父親から工芸家としての器用さを、母親から芸術に対する洗練された趣味を受け継ぎました。
母親は、オーブリーに文学や音楽の本格的な教育を施し、幼少の頃よりピアノを学んだオーブリーは、就学前からすでにショパンを弾きこなし、音楽の才にも秀でていたそうです。
1888年、ブライトンのグラマースクールを卒業後、測量事務所の事務員などしながら文筆活動を開始しました。
1891年7月、画家バーン=ジョーンズを訪ね、そこで才能を認められたビアズリーは、画家になることを勧められ、その後ウェストミンスター美術学校に通い、本格的に絵画を学びました。
1893年からトマス・マロリー作『アーサー王の死』の挿絵を手がけ、その後、オスカー・ワイルド作『サロメ』の挿絵などを経て、1894年文芸誌『イエローブック』を創刊しました。
1895年に、オスカー・ワイルドが絡むスキャンダルからイエローブックを追われ、フランス、ベルギーに逃れた後、ドイツに渡り文筆活動や挿絵の仕事に携わりました。
1896年1月、出版業者レナード・スミザーズと雑誌編集者アーサー・シモンズの招きで『サヴォイ』誌創刊に参加、同誌の美術編集者となりました。
しかし大手書店フランチャイズのひとつW.H.Smithが店頭販売を拒否する事態に陥り、8巻目で廃刊に追い込まれました。
短命ながら、『サヴォイ』誌の斬新かつ国際色豊かな執筆陣と内容は、「前衛的」と呼ぶにふさわしい内容でした。
わずか25年の生涯、6年たらずの活動期間にもかかわらず、ビアズリーは、フランスのバルビエ、日本の手塚治虫等にも大きな影響を与え、まさに天才芸術家といえます。
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